24.03.11 東日本大震災13年目「繋ぐー未来へー」

(3月11日の朝、校長先生が全校放送でお話しした内容を紹介いたします。)

 全校児童の皆さん、おはようございます。

 今年の元日、午後4時10分に石川県能登地方で大きな地震が発生したことは皆さんも知っているところですが、13年前の2011年(平成23年)の今日、3月11日の午後2時46分に、岩手県、宮城県、福島県の3県を中心とした東北地方でも、大きな地震が発生しました。皆さんの誰もまだ産まれていなかった頃のことですね。

地震の強さ・大きさを表すマグニチュードは9.0、揺れの大きさを表す震度は、最大で7という地震で、震度7というのは、「立っていることができず、這わないと動くことができない。」「部屋の中では、固定していない家具のほとんどが移動したり倒れたりし、飛ぶこともある。」「外では、壁のタイルや窓ガラスが割れ、落下する建物が多くなる。補強してあるブロック塀も倒れる。」ぐらいの大きさです。マグニチュード9.0というのは、日本で発生した地震で一番の強さの地震で、世界でも四番目に強い地震でした。

 一番被害の大きかった宮城県石巻市というところから300㎞も離れている幸手市も震度5強という大きな揺れでした。東日本大震災といわれるこの地震は、揺れの大きさもさることながら、2万人近い人々が亡くなるという大きな被害をもたらしたのは、大津波でした。巨大な津波は、最大17メートルの高さにもなりました。校舎が丸ごと水の中に入ってしまう高さ以上です。その津波に巻き込まれ、飲み込まれ、流されていくことを想像すると、胸が痛みます。また、この津波による浸水で、原子力発電所も被害を受け、その放射性物質の影響により、福島県の多くの市町村の人々が他の県に避難せざるを得ない状況になりました。そして、避難先では、心無い言葉をかけられ、辛い思いをした方々も多かったのです。

 この東日本大震災の16年前の1995年(平成7年)1月17日午前5時46分には、兵庫県南部を震源とした阪神淡路大震災が、今から100年前の1923年(大正12年)9月1日午前11時58分には、相模湾を震源とした関東大震災が、そして今年の元日の能登半島地震。

 3月11日に起きたこの震災やそれまでの震災から学び、皆さんには、自分の命は自分で守る備えをすることはもちろんですが、災害で被害を受けた人々の気持ちを想像できるやさしい心をもった人として成長してほしいと願っています。能登半島地震の救援募金をJRC・代表委員の皆さんが中心となり、多くの皆さんが協力してくれたことをとてもうれしく思います。

 毎年校長先生は、3月11日に話をしています。今年も改めてこの震災のことを考え、午後2時46分に黙とうをささげ、亡くなられた多くの方々へ哀悼の意を表すとともに、よりよい未来を創っていくことを誓いましょう。学級でも少し話し合ってみてください。お話を終わります。

関連ホームページ

・3.11 東日本大震災 “M9.0巨大地震”の衝撃(NHK・災害列島・命を守る情報サイト)

・自然災害の記録(NHKアーカイブス)

・幸手市地域防災計画

・地震に対する日ごろの備え(幸手市)

・地震が発生したら(幸手市)